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*現在執筆中です。投稿したらXで報告します。なお、スキー検定と一般の滑り方、競技は技術的な部分が違います。そういった違いも解説していきます。
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東京都にはスキー場がないと言われてますが、実はいくつかあります。東京から近いスキー場リストも交え、詳しく解説します。
東京から近いスキー場一覧(JRと自動車ランキング)
詳しくはこちらで確認できます。インバウンドのお客さんも早期予約するのでお早めに。
電車でのアクセス ランキング (到着までの時間)
| スキー場名 | 都心からの目安時間 | 所在地 |
|---|---|---|
| GALA湯沢スキー場 | 新幹線で最速75分 | 新潟県 |
| 軽井沢プリンスホテルスキー場 | 新幹線で約1時間 | 長野県 |
| 神立スノーリゾート | 新幹線で約80分 | 新潟県 |
| 舞子スノーリゾート | 新幹線で約1時間半 | 新潟県 |
| 湯沢中里スノーリゾート | 新幹線で約1時間半 | 新潟県 |
車でのアクセス ランキング (到着までの時間)
| スキー場名 | 都心からの目安時間 | 所在地 |
|---|---|---|
| カムイみさかスキー場 | 約80分 | 山梨県 |
| ふじてんスノーリゾート | 約90分 | 山梨県 |
| ノルン水上スキー場 | 約2時間 | 群馬県 |
| たんばらスキーパーク | 約2時間 | 群馬県 |
| 川場スキー場 | 約2時間 | 群馬県 |
東京都内にはかつて複数の人工スキー場が存在してた。
都市におけるレジャーの形態は時代と共に変遷を遂げてきました。現代では想像し難いかもしれませんが、かつて東京都内にもスキーを楽しむための施設が存在し、雪山へ足を運ばずとも銀世界の滑走を体験できる機会が提供されていました。
これらの「都市型スキー場」がどのような背景のもとに生まれ、どのような特徴を持ち、そしてなぜ姿を消していったのかを記録しておきます。
| スキー場名 | 営業期間 | 料金(当時) | 現住所 | 閉鎖理由 | 特徴 |
|---|---|---|---|---|---|
| 豊島園インドアスキー場 | 1958年11月23日~2001年頃 | 開業時:1時間100円 2。昭和52年頃:1時間1,500円、2時間2,000円、1日3,500円(全て用具込) | 東京都練馬区向山3丁目(としまえん跡地、現:ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 – メイキング・オブ・ハリー・ポッター) | 不明。おそらく老朽化などが理由 | 「世界初の屋内スキー場」という触れ込みだったが、これは「氷」を使ったという意味。海外に事例あり。 |
| クールバル東京 | 1998年11月~2001年12月 | 不明 | 東京都板橋区舟渡1丁目(埼京線浮間舟渡駅徒歩5分。跡地はカー用品店カレッツァを経て、現在は物流施設等か) | 集客不振 。運営母体の変遷 | スノーボード客主対象。吸水性ポリマーによる人工雪。ハーフパイプ設置 。 |
| 後楽園球場特設スキー場 | 主に1938年、1939年、1950年にジャンプ大会やスキー教室として開催 | 一般開放時の具体的な料金は資料から特定できず 。スキー教室は開催 。 | 東京都文京区後楽1丁目(旧後楽園球場跡地、現:東京ドームシティ一帯) | イベントとしての期間限定開催。 | 野球場に雪を運び込み特設ジャンプ台などを設置。スキー普及や大会開催が目的 。 |
| カムイ多摩 | 2000年頃に営業との情報 | 不明 | 東京都多摩市 | 不明 | カムイ系列のフリースタイルスノーボーディング特化型施設 。 |
この一覧表からも、いくつかの興味深い傾向が読み取れます。例えば、運営期間には大きな幅があり、数年で閉鎖した施設もあれば、豊島園のように比較的長期間にわたって運営された施設も存在します。これは、施設の立地条件、経営戦略、そして開業時期がスキーブームと重なっていたか否かなど、多様な要因が絡み合っていた結果と考えられます。
クールバル東京がスノーボードブームの後期に登場し、わずか3年でその幕を閉じたのは、ブームの沈静化や高コスト構造、さらには近郊のSSAWS(ザウス)のような大規模施設との競合などが影響した可能性があります。
一方、豊島園が40年以上にわたり何らかの形でスキー施設を維持できた背景には、「世界初」というブランド力 、遊園地全体の集客力との相乗効果、初期における競合の少なさ、そして運営ノウハウの蓄積などが寄与したのかもしれません。
また、採用された技術や施設の特性も時代と共に変化しています。
豊島園での初期の人工雪(砕氷やオガクズ利用の可能性も示唆されている )、そしてクールバル東京で採用された吸水性ポリマーによる進化した人工雪へと 、技術の進歩が都市型スキー場のあり方を規定してきた様子が伺えます。
さらに、初期の豊島園が一般的なスキーヤーを対象としていたのに対し、クールバル東京やカムイ多摩はスノーボードに特化するなど、ターゲットとする利用者層の変化も見られます。これは、レジャーのトレンドがスキーからスノーボードへと移行していった時代の流れを反映していると言えるでしょう。
東京都内のスキー場を解説
以下は東京都内にあったスキー場についての解説です。
豊島園インドアスキー場は、単に東京にかつて存在したスキー場というだけでなく、世界のレジャー施設史においても特筆すべき存在です。
開設経緯と「世界初」の意義
1958年(昭和33年)11月23日、当時人気の遊園地であったとしまえん内に、既存の「こども劇場」を改装する形でこのスキー場は開業しました。
これは、戦後の高度経済成長が本格化する直前であり、人々の生活にゆとりが生まれ始め、新たなレジャーへの関心が高まっていた時代背景を映しています。特に「世界初のインドアスキー場」という触れ込みは、国内外に対して日本の技術力とレジャー産業の先進性を示すものであり、大きな注目を集めました。
当時のスキーは、まだ一部の富裕層や学生などに限られた特別なスポーツというイメージがありましたが、それを都心で、しかも天候に左右されずに一年中楽しめるようにしたという点で、スキーの大衆化に向けた重要な一歩であったと言えるでしょう。
ゲレンデスペックと技術の変遷
開業当初の施設は、高さ16メートルの蒲鉾型をした建物内に、ゲレンデの高さ(高低差)6.5メートル、幅10メートル、長さ80メートル、最大斜度23度20分という規模でした。滑走面積は2,150平方メートルで、スキーヤーをゲレンデ上部へ運ぶためのロープウェーも2台備えられていたという記録もあるようです。総工費は約1億円と記録されています。(昭和33年11月23日付の読売新聞朝刊。これはネット上の情報によるもので裏は取ってない情報です。)
人工雪の技術に関しては、開業当初は砕氷機(アイスクラッシャー)で氷を細かく砕いた「ザラメ雪」に似たものを使用していたとされています。一部では、初期にはオガクズと砂を混ぜたものを使用したとの情報もありますが、写真からは通常の雪に見えるとの推察もあり 、詳細は不明です。
利用料金の大幅な変化で日本が高度経済成長した記録が表れてる
2025年現在も日本円は円安傾向が進み、物価高が続いてますが、当時とは意味が全く違います。この頃は高度経済成長でのちに1985年のプラザ合意後に日本は世界一の経済大国となったのです。(今は人口減少でどんどん転がり落ちてる)
利用料金も時代と共に変化しており、1958年の開業時は1時間につき100円でした。当時の物価水準(例えば国鉄初乗り運賃10円、映画館入場料130円程度)を考慮すると、新しいレジャーとしては比較的手の届きやすい価格設定であったと言えるかもしれません。
その後、昭和52年(1977年)頃には、1時間1,500円、2時間2,000円、1日3,500円となっており、これには滑走料だけでなく、貸スキー、貸靴、リフト料金が全て含まれていました。
約20年で料金は大幅に上昇していますが、これは物価の上昇に加え、用具一式をレンタルに含めるなどサービス内容が充実したことを反映していると考えられます。
閉鎖時期と跡地の現在
豊島園インドアスキー場の正確な閉鎖時期については情報が錯綜しており、2001年頃の閉鎖と言われてます。としまえん自体が2020年8月31日に94年の歴史に幕を下ろしたことは記憶に新しいですが 、スキー場はそのかなり以前に営業を終了していたわけです。
としまえんの広大な跡地には、2023年6月16日に「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 – メイキング・オブ・ハリー・ポッター」が開業し、新たな観光名所として賑わいを見せています。
インドアスキー場があったとされる「こども劇場」の具体的な位置が、現在のスタジオツアー施設のどの部分に該当するのかを正確に特定するには、当時の詳細な園内マップなどを用いないとわからないというのが現状です。
豊島園インドアスキー場が他の人工スキー場よりはるかに長い間経営できたのは、やはりビジネスモデルというか集客戦略にあるのではないかと予想されます。
1990年代後半、スキーに代わってスノーボードが若者を中心に爆発的な人気を博しました。クールバル東京は、まさにこのスノーボードブームの真っ只中に登場した都市型インドアゲレンデです。
開業の背景と特徴
クールバル東京は、1998年(平成10年)11月、東京都板橋区舟渡にオープンしました。JR埼京線の浮間舟渡駅から徒歩5分という交通至便な立地でした 。
この時期は、長野オリンピック(1998年)を契機にスノーボードへの注目が一層高まり、手軽に練習できる場所へのニーズが高まっていた頃です。クールバル東京は、こうした需要に応える形で、主にスノーボーダーをターゲットとした施設として計画されました。
運営は、当初スノーヴァ系列の一つとして始まりましたが、後に経営主体がスノーヴァ東京からスノーヴァ本社、そして最終的には日石三菱へと変遷しています。
ゲレンデのスペックは、滑走距離65メートルと屋内施設としては比較的長い部類に入り、吸水性ポリマーを使用したサラサラタイプの人工雪が特徴。スノーボーダー向けにハーフパイプが設置されていたほか 、そり遊びもできたようです。
短期間での閉鎖とその理由
大きな期待と共にオープンしたクールバル東京でしたが、その営業期間は約3年と非常に短く、2001年(平成13年)12月に閉鎖されました 。
閉鎖の主な理由は集客不振とされています。
交通アクセスは良好であったものの、運営側が期待したほどの利用者数を確保できなかったのではないかと思われます。(あくまでも予想です)
この背景には、スノーボードブーム自体がピークを過ぎて沈静化に向かっていたこと、都心型施設の運営コストの高さ、そして千葉県船橋市にあった巨大インドアスキー場「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」(1993年~2002年)のような大規模施設との競合などが影響した可能性が考えられます。
SSAWSはスキーヤー中心の設計で当初スノーボードパークがなかったものの、その圧倒的な規模は、小規模なクールバル東京にとって無視できない存在だったのではないかと思われます。
クールバル東京の跡地は、カー用品店「カレッツァ」の駐車場になったと伝えられています。しかし、そのカレッツァも2022年3月末をもって閉店しています。
恒久的な施設ではありませんが、かつて東京の中心部であった後楽園球場(現在の東京ドームシティの場所)では、数回にわたり雪を運び込んで特設のスキー場が設けられ、多くの人々を驚かせました。
開催の歴史と目的
後楽園球場でのスキーイベントは、戦前の1930年代後半から戦後の1950年にかけて、主にスキージャンプ競技の大会やスキーの普及を目的として開催されました。
記録に残る主な開催は以下の通りです。
- 1938年(昭和13年)2月27日:「第1回全日本スキージャンプ東京大会」が開催されました。この大会に先立ち、同年1月29日から31日にかけてはスキー講習会が行われ、その後2週間にわたり一般にも開放され、延べ5,000人が来場したとされています。
- 1939年(昭和14年)1月28日・29日:「第2回全日本選抜スキージャンプ大会」が開催され、この時はジャンプ競技に加えてスラローム競技も行われました。
- 1950年(昭和25年)1月28日:「第3回全日本選抜スキージャンプ大会」が開催されました 。 これらのイベントの主な目的は、まだ一般には馴染みの薄かったスキー競技を都会の人々に紹介し、その魅力を伝えること 、そしてスポーツイベントとしての話題性を提供することにあったと考えられます。
2000年頃に東京都多摩市で「カムイ多摩」というインドア施設が営業していたとの情報があります。これは、茨城県の「カムイ竜ヶ崎」などと同様のカムイ系列の施設の一つで、主にフリースタイルスノーボーディングに特化した小規模なインドアゲレンデであったようですが、2004年には閉鎖になったとのこと。
中はエスカレーターで上に登れるようになってるという仕組みでした。
東京からなぜスキー場が消えたか?
結論は簡単で

費用対効果が悪く、人工スキー場でしか経営できないため老朽化も避けられない
というデメリットを抱えてたのが原因ではないかと予想できます。
通常の地方の小規模スキー場でも年間5000万前後の維持費がかかりますから、おそらくそれ以上だったと予想できます。
スキー場はあくまでもコンテンツの1つとして運営してたところが生き残り、スキー場単体では経営はかなり厳しいというのが容易に想像できます。
バブル時代は
「スキー場を作ればとりあえず人は確実に来る」
という時代だったので、全国あちこちに作られたわけですが、経営者や銀行などは経済がダメになった場合のビジネスモデルすら考えなかったのでしょう。
私は某スキー場の買収を諦めた人間の1人なので。スキー場だけの経営だと費用対効果が悪すぎるのです。これはちょっと電卓を叩けばすぐにわかることで小学生でもわかります。
スキーというスポーツがなくても人間生きていけます。
なので、どう温泉や街などの施設と絡めて集客ツールの1つとしてスキー場というコンテンツを考えないと、経営が行き詰まるのは目に見えてます。
千葉県のスキードームザウスの経験は私にとっては良い思い出ですが、経営という観点から見るとどうだったかな?元は取れたのかな?と疑問になったりもします。
ただ、ザウスに限って言えば、世界最大級の人工スキー場が日本にかつてあったというのは、記憶に残る大事業だったのは間違いないことでしょう。
人工スキー場はいつかは老朽化で終わります。
東京都でスキー場を経営するには、単体では難しいということが歴史が証明してると言えるのかもしれません。
財務諸表を見たわけではないので、これらはあくまでも予想です。儲かって店じまいするケースもあるので。
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